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カメラの歴史


カメラの起源は意外と古く、紀元前までさかのぼることができます。ラテン語で「暗い部屋」を表す「カメラ・オブスキュラ」がそれとされています。暗い部屋の壁に小さな穴を開け、この穴から入った光が反対側の壁に届くと、外の景色が映るのです。


その後、「カメラ・オブスキュラ」は様々な改良がされ、1826年にフランスの発明家 ニセフォール・ニエプスはアスファルトを感光板として自分の家から見える風景を撮影しました。これが世界で最初に撮影された写真です。


ニエプスはその後画家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと研究を重ね「銀塩写真法」を発明します。 「銀板」を用いたこのカメラは「ダゲレオタイプカメラ」と呼ばれ1839年にフランスのジルー社から世界初のカメラ「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」が発売されました。


日本へのカメラの伝来は、江戸時代の1848年( 嘉永元年 )とされています。 オランダ船によってもたらされたダゲレオタイプカメラを島津藩の御用商人であった上野俊之丞が購入し、島津藩主の島津斉彬公に献上しました。 日本人によって写された写真で、今も残っている一番古いものは、1857年( 安政 4年)に写された島津斉彬公の銀板写真です。 この銀板写真が日本初の写真とされ、撮影日とされる6月1日は現在でも写真の日とされています。


そして1903年(明治36年)に小西本店(後のコニカミノルタ)から、「チェリー手提暗函(てさげあんばこ)」というカメラが日本で最初にアマチュア向けに発売されました。


現在のようなロールタイプのフィルムが登場したのは1888年。 アメリカのイーストマン社が「コダック」という名前のカメラを発明しました。セルロイドに感光乳剤を塗布した100枚撮りフィルムとカメラがセットになった「コダック」は評判となり社名も「イーストマン・コダック社」へと変更しました。この時の有名な宣伝文句が「 You press the button, we do the rest.あなたはシャッターを押しさえすれば、後は我々がやります)」です。


1912年、米イーストマン・コダック社は蛇腹を引き出して撮影するカメラを発売、蛇腹を格納すればポケットに入る大きさだったので「ベスト・ポケット・コダック」と名づけられました。画面サイズは「6×4.5センチ」で、以降はこのサイズを「ベスト判」と呼ぶようになりました。


1925年にはドイツのライプチヒ見本市で画面サイズが「24×36ミリ」のパーフォレーション付きフィルムを使用した小型カメラが発売されました。ドイツ西部の「エルンスト・ライツ社」が開発したこの「ライカA型」カメラは、今もなお絶大な人気を持つ「ライカ(Leica)」の基礎となるカメラでした。 1954年には「ライカM3」型が登場し、ライカはその人気を不動のものにしライカの全盛期を迎えたのでした。


1926年にドイツで「ツァイス・イコン社」が誕生しました。 カール・ツァイス財団の呼びかけに光学メーカー4社が合併して誕生したツァイス・イコン社は、 画面サイズ「6×9センチ」のロールフィルムを使用するスプリングカメラ(バネの力でカメラの上ブタが開き蛇腹が展開されるカメラ)を製造しました。


1928年にドイツのフランケ&ハイデッケ社が画面サイズ6x6センチの二眼レフカメラ「ローライフレックス」を発売、二眼レフカメラの原点となっています。


1950年、世界初のペンタプリズム式一眼レフカメラ コンタックスS が発売されました。

1950年代はライカM3の全盛期であり、同時にドイツカメラの全盛期でした。この牙城を崩したのが日本の一眼レフカメラです。特に 1950年代後半になるとその流れは急速に高まり、今も高い評価を受けている ニコンの F でその頂点を極めました。


1963年には露出を自動化したAEカメラが現れます。さらに1977年にはオートフォーカス機構が実用化され、構図を決めてシャッターを押すだけで写真が撮れるのが当たり前の時代になりました。


デジタルカメラの歴史は、1981年ソニーから磁気記録方式による電子スチルカメラ「マビカ(試作機)」が発表されたことからはじまります。「マビカ」は市販にはいたりませんでしたが、大きな話題となり、各社とも研究・開発を本格的にスタートさせました。


その後1986年にキヤノンから世界で初めて電子スチルビデオカメラ「RC-701」が市販されました。ただし、システム一式で500万円という高価格な製品であり、主に報道など業務用に用いられました。


1995年には、38万画素と画素数こそ多くありませんが、当時としては破格の6万5千円という低価格をつけたデジタルカメラ「QV-10」がカシオ計算機から発売され、大ヒットとなりました。カメラというよりもPC周辺機器要素やおもちゃ的要素が強く、デジタルメモやコミュニケーションツールとして使われていました。デジカメプリントはまだ一般的でなかったです。


「QV10」をヒットさせたカシオ計算機の功績は大きく、ここから一般向けデジカメの発売が相次ぎました。 家電メーカーに続き、それまで沈黙を続けていたカメラメーカー、フィルムメーカーが96年末位になると次々に新製品をリリースしました。メーカー同士の競争がはじまり、画質や性能が向上し、パソコンの普及などにもより、デジタルカメラは爆発的に普及しました。


1999年にはコンシューマ向けデジカメの画素数も200万画素のものが発売され始めました。この辺りからデジカメプリントも一般的になりだしました。